三本木町 桑折城址(館山公園)
 桑折城は戦国時代大崎家家臣、澁谷相模守の居城で伊達領となってからは伊達一家柴田宗義(政宗側室・阿山方の父)が一時居城としていたものと思われます。写真は展望台から大崎平野を望んだところです。鳴瀬川が敵の侵入を防ぎ、反対側は奥深い山でさらに、その方向の斜面はほとんど崖。難攻不落のお城だったことが想像できます。現在は館山公園として桜の名所となっています。

公園の南側斜面はこんな感じの崖。
 園内にあった石碑。何の石碑かわかりませんでしたが、囲ってある木製の柵はシロアリの攻撃を受けていました。どの場所に行っても大抵こういう柵はシロアリの餌食になっています。気にしなければそれでいいことですが・・・。

 1588年の大崎合戦(伊達政宗vs大崎義隆)の際、桑折城には大崎家軍師・黒川晴氏がこもりました。攻めていたのはおそらく、ここから南西5,6kmいったところにある大窪城主・大松沢元実だったと思います。晴氏は自らを月舟斎と名のる智略・才略にたけた人物でこの合戦の際にもその才能をいかんなく発揮します。
 まず、自身は伊達軍に味方するように見せかけます。そして大将の留守政景と泉田重光の関係を悪くさせ、伊達軍の士気を著しく低下させました。ほどよいところで晴氏は寝返り、伊達軍を散々に打ち破った後近くの新沼城に押し込めます。
 留守政景と伊達軍は絶体絶命のピンチでした。大崎義隆と家臣らは全滅させることを主張しましたが、晴氏はこれを攻めませんでした。伊達軍から人質をとって留守政景らを逃がしてやるのです。実は政景は晴氏の娘婿だったのでした。この恩を政景は忘れることはなく、政宗が晴氏を処断する際には嘆願して舅の命を助けたのです。(注:作者のひいき、想像がいかんなく盛り込まれています)
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