加美町 中新田城址
 中新田城址は旧中新田町の国道沿いにある長興寺近辺にあります。14世紀中盤、大崎家の始祖である斯波家兼が中新田に来て本拠地としました。戦国時代は大崎義隆が古川市の名生城に移ってから南條隆信の居城となりました。1588年の大崎合戦の時には攻めてくる伊達軍に対し、南條隆信がこの城でろう城、不利な状況下で見事に伊達軍を打ち破りました。この城が突破されると大崎軍の本拠地、名生城に攻め込まれることになるので大崎家を守った武将ともいえると思います。この平城でよく持ちこたえました。
 中新田城は東に行くと古川城、北東に名生城、北に岩出山城、西に宮崎城があり、交通の要所だったことが想像できます。現在も国道が交差する地点に当たります。
 右の写真は神社と斯波家兼の像です。斯波家は足利家と同じ家系で、家兼と南北朝時代に活躍した足利尊氏のひぃひぃおじいちゃんがいっしょです。(らしい)
 ここは国道沿いにある小さな公園なので、露骨にシロアリ探しをできるはずもなく、そうそうに引き上げました。でもなんかシロアリのこと書かなきゃいけないと思うので山岡荘八先生の「伊達政宗」の一節を紹介します。
 この小説の一説に「白蟻」という言葉がでてきます。出てくるところは伊達政宗に徳川家康の側近、大久保忠隣が相談に来たときのことで、忠隣が「徳川家に白蟻がついている」というのです。もちろんこれは言葉の揶揄で忠隣が敵対視していた本田父子のことを指しています。本田正信が親蟻で本田正純が子蟻ということも書かれています。要は本田父子が徳川家を崩壊させてしまうということですが、山岡先生がなぜ「白蟻」を用いたかに興味があります。この小説は30年くらい前に書かれたものですが、もしかしたら、その頃山岡先生もシロアリに困っていたのでしょうか。
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