古川市 名生城址&小野小町のお墓
 名生城は奥州探題大崎氏の本拠地で戦国時代は大崎義隆の居城でした。私の想像では古川市の中心に近いところにあると思っていたのですが、岩出山町とのほぼ境にありました。名門大崎氏の居城だけあって大きなお城だったようです。大崎氏は戦国時代の1588年、進行してくる伊達軍と戦っています。伊達軍の大将は留守政景。大崎軍は中新田城(加美町)に南条隆信、師山城(古川市)に古川忠隆を配してろう城、軍師黒川晴氏の計とともに伊達軍を新沼城(三本木町)に追い詰め、さんざんに打ち破ったのでした。
 本丸のあった所。ここは名生館官衙遺跡といって7世紀末に立てられたお役所の跡でもあるそうです。大崎氏は豊臣秀吉が小田原に攻める際、参陣を拒否しました。大崎には歴史があり、名門であるがゆえ秀吉に使われるのがいやだったのでしょうか。
 その後、大崎領は豊臣秀吉の家臣、木村吉清(元明智光秀家臣)に30万石として与えられました。30万石といったら大大名です。それまで一家臣に過ぎなかった木村吉清にはちょっと荷が重いのは明らかで、人使いの上手な秀吉がなぜそんなことをしたのか不思議に思うかもしれませんが、その辺の事情を知りたい方は山岡荘八先生の「伊達政宗」をお読み下さい。
 木村吉清の圧政に耐えかねた勇敢な大崎領民は立ち上がります。各地で一揆を起こし木村親子を追い出しました。しかし、一揆鎮圧軍伊達政宗、蒲生氏郷(織田信長の妹婿)らに抑えられ、ここ名生城は蒲生氏郷に落とされたのでした。
 名生城には徳川家康も立ち寄っています。有名どころが来ていると思うと血が騒ぐのはミーハーだからでしょうか・・・。

 名生城址の帰り道、「小野小町のお墓」という案内板を見つけたので寄りました。小野小町は平安時代の歌人ですが、このころの時代のことっていうと、吉川英治先生の平家物語を読んだくらいなのでテリトリー外です。なのでこのお墓が本物かどうかは想像もできません。しかし、小野小町は日本女性の代表的美人として有名とかって書いてあったのでとりあえず手を合わせました。
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