古川市 師山城址
 古川市の南方にある師山城は大崎氏家臣の渋谷弥三郎の居城でした。(と書いてあった。おそらく戦国時代、大崎義直につかえた渋谷党の方と思われます。)1588年の大崎合戦の際には大崎家家臣古川忠隆が、迫る伊達政宗軍(政宗はこのとき出陣していない。大将は留守政景)をこの城でろう城し見事打ち破りました。この時、近くにいた兵庫館主、中目隆政(大崎家四家老の一人)の援軍を自分のところではなく軍師・黒川晴氏がこもっている桑折城(三本木町)に向かわせました。古川忠隆がいかに猛将だったかが想像できます。それにしても平野の真っ只中のお城でよく持ちこたえました。おそるべし古川氏。
 右の写真は古い電柱をシロアリが食べた跡。そういえば昔(といってもそんなに昔じゃなく)木で出来た電柱がありましたがシロアリの被害はなかったのでしょうか。10年位前当時愛車だったVWゴルフで雪道でスリップし、木製の電柱を倒したことがあります。そんなにスピードは出していなかったつもりですが、正面から突っ込み簡単に倒れてしまいました。今考えるとその電柱はシロアリの食害にあっていたため倒れやすくなっていたのではないかと想像しています。
 師山城のお城があったと思われる場所。なんとなく本丸、二の丸等の跡が見えます。豊臣秀吉が天下統一後、大崎領で一揆が勃発します。このとき政宗公が直々に一揆鎮圧を行いましたが(織田信長の妹婿、蒲生氏郷も参戦)そのとき師山城を落としています。政宗公もここに来ていたのでした。
地 図 トップページ 仙北地域の紹介トップ